スーパー・コメディアン K



以前、私は市ヶ谷にある大日本印刷の工場内で働いていた時期がある。
レタッチはそこで覚えたものだ。

転職して随分と経つので、今どんな状況なのかはわからないが、その時の職場で
出逢った連中は変わり者が沢山いたものである。(笑)

当時はバブルの真っ最中で、人手が足らなくて大変な時期だった。そんなわけでバイトの若者が非常に多かった。採用基準も今なんかとはまるで違い、面接に来た時点で即採用なんつ〜事が当たり前、就職難の今では考えられない時代だ。

そのせいか、服装などをとやかく言われる事などなく、個性的なファッションで出社する者は少なくなかった。金髪やパンクスなど珍しくもなかったね。

特に印象に残ってるのは、同じフロアーの隣の会社のお姉ちゃんかな。
毎日、フリルいっぱいのドレスみたいな代物を身につけていたっけ。(笑)

私はてっきり
スティービー・ニックスかと思っちゃったよ!(古いか?)
ウチの会社の女の子達なんかは・・・・


ザビエル姉ちゃんなんて言ってたぞ!

あ、ちなみにフランシスコ・ザビエルからきてるらしい。(笑)

それは良いとして、今回、紹介したいのはK君の事だ。相変わらず前フリが長くて申し訳ない。(苦笑)

K君は、なんとコント赤信号の弟子だった男なのだ。ミュージシャンを目指す奴や役者を目指す奴、漫画家を目指す奴(あ、当時の私か!)、色々な若者が沢山いたが、お笑い出身は前代未聞だった。興味をもっちゃうわなぁ。

渋谷の道頓堀劇場(ストリップ劇場)で、前座としてコントを披露していたらしいっすよ。裸目当てのお客さんを笑かすのは並み大抵の事ではなく、相当の創意工夫を凝らしていたそうだ。

今のお笑い業界がどんなものなのか私は知らないが、K君の修行時代は給料は月に
3万円だったそうだ。漫画家アシスタントより悲惨なものだ!(笑)

それでも酒好きの彼は、何はなくとも給料が出たら真っ先に一ヶ月分の酒を買ったらしい。飯など、なんとかなるのだそうだ。先輩が御馳走してくれる事もあったそうだしね。この飽食の時代に凄い事だ・・・・。(涙)

どうしても腹を満たせぬ時は、パチンコや競馬で生計をたてたという。
彼いわく、「大金つっこんで、大金をかせぐなんてのは甘いね♪」

ギャンブルで確実に勝つ秘訣とは、冗談抜きで命がかかってる状態でのぞむ事らしい・・・・。もちろん、勝機が無い時は無茶をしないとも言っていた。

ハングリ〜である。(笑)

だが、私の漫画家アシスタント仲間の一人も、少ないお金で腹いっぱい食う技を教えてくれた事があるのだが・・・・


カレーライスとライスを頼んで混ぜ、超大盛りのカレーライスにして食うそうだ。(笑)

漫画家アシスタントも、なかなかどうして負けていない気がするのだが、どうだろう?

なんにせよ、酒好き同志&人をおちょくるのが生きがい同志の私達は仲良くなるのに、そうは時間がかからなかったな。

そのK君だがこの度、
念願の焼き鳥屋をオープンする事になったのだ。
私が受けた連絡では、明日4月8日に開店との事!

修行の賜物なのか天性の素質なのか、お笑いの世界ではメジャーになれなかったものの、K君のユニークさは比類無きものだ。そんな彼が仕切るお店のこと、きっと愉快な空間が待っているに違いない!

私もなるべく早く行きたいと思っております。(笑)


2000年4月7日 テッちゃんより友情をこめて・・・♪




私に売られた友人たち!
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